【活動報告】コミュニティカフェプロジェクト 第2回ワークショップ

文:ティトゥス・スプリー(対話工房メンバー)

女川の印象

昨年9月、私は初めて東北地方を訪れたので、大震災後の東北しか経験していない。この時すでに瓦礫のほとんどは撤去されつつあり、町だった場所は雑草が生えた無名の更地になろうとしていた。人々の生活の場だった事実は、残されたわずかな痕跡から辿らざるを得なかった。人間の空間であった場所、また過酷な経験があった場所は、私の前で沈黙していた。

それと対照的だったのは非常に厳密に計画された仮設住宅の街だった。現在の女川はこの2つの極に挟まれて形作られていると感じた。「記憶のまち」と「仮設のまち」…2つのまちがこの女川に同時に存在している。

しかし、状況的には膠着しているという印象と同時に、女川住民一人一人の創造的なエネルギーも感じた。

 

女川の状況を見てもう一つ頭にモヤモヤと巡ったのは、人間と自然の関係についてだった。人間は自然の中でどれだけ虚弱な存在であるのか。人工的に開発されコントロールされていると思い込んでいる環境は、この地球上のどれだけ薄い「層」でしかないのか。

日常の便利な生活で消されてきた自然の存在感が改めて思い出される。人間の生き方は自然の力や自然の流れに根本的に合わせないと続けられない。どんなに豊かな知識も、どんなに進んだ技術も、自然の力には対抗できない。自然の力を読むには、人間の感覚から生まれてくる想像力が一番重要ではないだろうか。そもそも想像力とは自然の力に対抗するために、人間が自ら開発した能力ではないのだろうか。

特に原子力発電所が身近に存在している女川で復興に邁進する中、人々が自然との関係をどう作り直すのかが大きなポイントになるだろうと思った。

photo by Toshie Kusamoto
photo by Toshie Kusamoto

スカイランタンワークショップ

今回第2回目となるワークショップの内容は、まずカフェスペースのために何かを作ろう、という話しから始まった。灯りが少なくなった女川の夜にもっと心温まる灯りをともしたいと考え、それがランタンづくりの発想につながっていった。スカイランタンを女川の空に飛ばしたいという考えが芽生えたのは、9月初めて女川に来た時だと思う。高台の病院の下に広がる海とそこに面した消えたまちを見た時、そこに何かを解放したい気持ちになっていた。リアス式海岸特有の景色の女川湾から、遠く海を越えて飛んで行く一つの光を想像した時、この場所の記憶を参加者自らの手で変えられるのではないかという仮説を立てた。

 

当初、スカイランタンづくりはワークショップのメイン企画ではなく、むしろ付録として考えていた。ところがワークショップ当日は子供が多く集まり、彼らと一緒に作っている間に、気が付けばランタンを作り、女川の空に飛ばす為に沖縄から飛んできたということになっていた。

 

参加者の皆さんとランタンを作り始め、完成に近づくにつれ、本当に飛ぶのか?実際に飛ばすのか?と、会場のおちゃっこクラブ店内はどんどん緊張感が上がってきた。

その初飛行の一個目、火を点してもスムーズに上昇せず、ランタンは不器用に空に上がっていった。たどたどしく飛び上がり、歓声や悲鳴と共にその行方を皆と消えるまで見届けたことが一番印象に残っている。あの時間、大人も一緒に子どもになっていた気がした。あの場所には、飛ばして大丈夫か?という心配を超えて、飛ばしてしてやろう!というエネルギーが満ち溢れ、ランタンの飛翔と共に一気に解放され、後には熱い空気が残った。

 

※スカイランタン飛翔(2個目)の映像はこちら

photo by Toshie Kusamoto
photo by Toshie Kusamoto

子供たち

まだ短い時間しか関われていないので印象だけではあるが、子どもの生命力はとても強いと感じた。子ども自身の前向きな生き方はこういう大震災の体験があっても失われないだろうが、それに比べて周りの大人へは大きな影響があると思った。おそらく大人は厳しい状況下であればあるほど「子どもを守りたい」と思うのだろうが、大人が心配や苦しみを抱えて隠せば隠すほどに、子どもはそれを強く感じるのではないだろうか。

このような状況の中、一番必要ではないかと思ったのは、大人から一歩離れ、子どもたちが気持ちを解放できる場である。大震災では子どもたちも大変なストレスを負い、もちろん大人のケアを必要としているが、子どもしか持ってないエネルギーは大人が縛りすぎれば失われる性質のもの。自由に遊びながらストレスやテンションを解放する機会と場が多くあった方がいいと思う。

気楽に遊べる安全な場、また自然の中で人間の悩みの浄化を助ける場が必要ではないかと思った。人智を超えた自然の予想できない力から直に圧倒された人々だからこそ、あえて自然との関係を大切にしてほしいと願う。

 

そしてそれは女川にとどまらず、大震災から自然を学び考える機会として、多くの人々に受け取ってもらう必要があるのではないかと思う。

photo by Toshie Kusamoto
photo by Toshie Kusamoto

ティトゥス スプリー Titus Spree

(建築家・美術家・琉球大学教育学部美術教育准教授

1966年ドイツのウルム生まれ。 1986年ミラノのドムスアカデミー卒業。 1994年ベルリン芸術大学において建築の修士課程修了。 1996年日本に留学、東京大学建築学科で研究生と大学院博士課程 2001年より沖縄を拠点に、建築・デザイン・アート・教育を横断的に結びつける国際的な活動を展開。 、「向島ネットワーク」(東京墨田区)、「プラットフォーム-C カッパドキア・アカデミー」(トルコのカッパドキア)、「ワナキオ」(沖縄那覇市)など多数のアートと地域再生プロジェクトでディレクターを務める。


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