女川の自然と火と人 − うみやまさんぽ4 参加者レポート

今回は「アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)2014」のネットワークを通して「うみやまさんぽ」4 冬至キャンプにご参加頂いた、大島広子さん(舞台空間/衣裳デザイナー)によるレポートをご紹介します。主催側とはまた異なる視点で綴られた参加体験として、ご紹介させて頂きます。対話工房としても、今後の活動の参考になるものとしてありがたく拝読しました。

 

*同レポートはAAF2014活動報告書用に執筆されたものを、大島さんおよびAAFのご厚意により転載させて頂きました。関係各位に御礼申し上げます。


女川の自然と火と人 − 対話工房 「うみやまさんぽ」4 冬至キャンプに参加して

 

文=AAF東京校 大島広子

 

「うみやまさんぽ」4 冬至キャンプ

 

2014年12月21日、冬至の前日の朝、対話工房メンバーの海子揮一さんにお会いした。「うみやまさんぽ」4 冬至キャンプに参加するためだ。うみやまさんぽとは、女川ネイチャーガイド協会と対話工房のコラボレーション企画として、今回で4回目の開催となる。女川最高峰の石投山(いしなげさん)の山頂に登って、海の方向にある出島(いずしま)より上る冬至の日の出を見よう、というのが今回の目的。この対の企画として、半年前の夏至の日に「うみやまさんぽ」3夏至出島縄文キャンプは開催されている。それは出島の遺跡から、対岸の石投山に沈む夏至の日没を眺める、という今回とは真逆のもの。うみやまさんぽとは、出島の古代遺跡は、女川で暮らした縄文人にとっての巨大な暦(カレンダー)だったのではないか、という仮説を元に、実際に女川の自然を歩き、過去と現在、時と空間について思いを巡らせるための小さな冒険旅行である。

女川町 石投山と出島の位置関係
女川町 石投山と出島の位置関係

昼食においしい女川カレーを食べた後、いざ標高456mの石投山へ。参加者は7名。大人になってから、ハイキングにすら行ってない私は、臆病な部分の自分を励ましつつ、冬の山を登り始める。黄色やだいだい、茶色の木の葉で埋め尽くされた自然の絨毯が続く斜面。途中2度休憩して、2時間ほどで山頂へ到着する。早速ベースとなる大きなテントを設営し、山頂にある枯れ枝を集める。 たき火の準備だ。火を付ける。暖かい。火に手を向けて暖を取りながら、参加者はぽつ、ぽつと話始める。

 

キャンプに切り餅を持ってこなかったことを、少し後悔していること。なぜ3ヶ月前から女川に住むことになったか。女川では昔クジラが水揚げされていて、クジラの水揚げの際には、港からサイレンがなるので、サイレンが鳴る度、港から少し陸に入った解体工場へクジラをよく見に行ったこと。コーヒーを持ってくるのを忘れたこと。来年の3月には、女川駅まで電車が開通し、駅前には新しく桜並木が植樹されること。いのししの背骨の両脇の肉はとてもおいしいこと。近い未来は女川にいるが、その先はまだわからないこと。

たき火を囲んで。対話工房 海子揮一(左)と 女川ネイチャーガイド協会 藤中郁生さん
たき火を囲んで。対話工房 海子揮一(左)と 女川ネイチャーガイド協会 藤中郁生さん

大笑いしたり、切なくなったりと、大きく感情が揺れる話ではなく、ただそれぞれが頭に浮かんだ事を話す。まるで、みんな昔からの知り合いのようにリラックスした雰囲気で、たき火の暖かさと揺らぎに寄り添うような、穏やかな時間。だが、火に面して温かい体の前面とは逆に、背中には冷気が迫ってくる。 テントの外はマイナス6度。 何かを食べ続けないといられない。おだやかなおしゃべりの時間にも、自分の体の中は「生きる活動=燃焼」に必死だ。気がつくと火を起こしてから5時間、22時を回っていた。

たき火を消して、寝袋へ潜り込む。だが眠れない。まるで保冷剤の上に布団をしいて寝ているようだ。冷たさがゆっくりと背中に感じられる。考え事なのか、夢なのか。その意識の狭間をうろうろしながら、長く、暗い夜と共に朝日を待つ。闇の中には、獣の気配、なにかの足音、風の鳴き声、昔の記憶が混ざり合う。

 

撮影:海子揮一
撮影:海子揮一

 

気がつくと、海子さんが朝のたき火の準備をしてくれている。間もなく日の出らしい。始まりの小さな火ですら、とても暖かくて、大切に思える。テントの外に出ると、女川湾の辺りから、明るい光が雲の間から見える。全員でご来光を眺める。少しづつまぶしい光が海から空へと離れていく。

撮影:海子揮一
撮影:海子揮一

 朝ご飯をすませ、大きなテントをたたむ。山頂にて記念撮影。その後すぐ、急斜面をおそるおそる降り、下山が始まる。背中の大きな荷物に振り回されて、私は何度も転げ落ちそうになる。地面から突き出す霜柱や、落ちていた緑色のかいこまゆが、太陽の光を浴びて鮮やかに輝く。激しく根元から折れた大きな杉の木をまたぎ、10時過ぎに登り口へ到着。そこで今回のうみやまさんぽは、おひらきとなった。無事戻って来れた。小さな冒険の終わりには、安堵と共に、子供の時に感じた純粋でなつかしい喜びが待っていた。


対話工房 女川でともす火(あかり)

 

女川町は、宮城県東部、自然豊かな牡鹿半島の根元に位置し、漁業が盛んな町である。市街地の大部分は、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波で壊滅的な被害を受けた。対話工房は、女川町をベースに、失われた「表現と対話の場」を人々の日常に取り戻すことを目標に活動している一般社団法人である。メンバーは、案内をしてくれた建築家の海子さんを始め、女川内外の様々な表現者が集まり、現在10名。メンバーの多くは、東京、京都、ドイツ、沖縄など、拠点が女川町以外にあり、メンバー全員が一同に集まったことは一度もないが、それは対話工房らしさ、と海子さんは笑顔で話す。メンバーは女川でのプロジェクトに参加して、そこから得た学びを、それぞれの拠点へ持ち帰り発信する。いわばサテライトとしての役割を担っているのだ。これまでにトークショーや女川の写真展などがメンバー主導の元、京都、沖縄、別府、海を渡りドイツで行われている。

 

女川の今を外に向かって発信する活動と平行し、女川町の地域社会において、人と人のつながりや対話を生む活動の核となっているのは、コミュニティカフェ「おちゃっこカフェ」の存在である。対話工房メンバーであり、女川町在住の岡裕彦さんがオーナーで、現在は女川町地域医療センター内の港が一望できる一角で営業している。このカフェは、岡さんが避難所で暮らしていた際、地域の人たちが集い、語らう時間と空間の必要性を切に感じ、対話工房のコミュニティカフェプロジェクトとして、女川に住む人との恊働により誕生した。

 

海子さんは、おちゃっこカフェで提供されているソフトクリームにまつわるオーナー岡さんの思いについて、話してくれた。ソフトクリームは、人と人がコミュニケーションを交わす際の呼び水になりうる。なぜなら、人はソフトクリームを食べる時、大人も子供も、地位や財産の有無も関係なく、人前でベロを突き出し、食べなければらなない。無作法で、無防備なポーズを強いる、甘く柔らかいソフトクリームの元で、人は、普段自分を囲っている垣根に少し隙間を作り、それが対話のきっかけを生めるのではないか。

 

このソフトクリームのように、 人と人の間に介在し、対話を生み出すきっかけになりうるもの。 こういったものを対話工房では「対話ツール」としてイベントで活用している。その中でも一番原始的で、多くの人を引きつけるツール、それはたき火だ。うみやまさんぽでも、私たち参加者の中心にあったたき火。たき火をプロジェクトの中心に据えている「女川常夜灯」というイベントが、対話工房と地域住民の協力により、毎年8月お盆の時期に開催されている。広場に集まった参加者によって、小さなたき火がたくさん焚かれ、その火を囲んで語らう時間を共有するという企画。 女川常夜灯の夜は、女川内外から様々な世代の人々が火を囲み、今と未来が語られ、震災の経験と昔の女川の姿が、若い世代に口承される時間が流れている。

 

そしてさかのぼり、東日本大震災が起きた2011年3月11日の女川でも、たき火は人と人の中心にあった。女川町在住のおにいさんから、震災当日の話を聞く事ができた。その日、彼の腰から下の部分は津波によって濡れた。それを乾かし、暖めてくれたのはたき火だった。近寄ると熱くて、遠ざかると寒い。そのいい案配の距離を見計らうことで、その日が終わったという。闇と不安の中、火はどれだけ女川にいた人の支えになっただろうか。

 

火をおこす事は、物を作る行為とは違って、見えない自然の力を火という形に代えて、それを一時借りているという行為とも言える。火を扱うことを覚えた我々の祖先は、文明を飛躍的に発展させることに成功し、一方で制御できない火は、様々な命を奪うこともある。私たちの都合から言うこのような二面性は、大地、水、空という自然界の物質にも共通する。女川町は恵まれた水産資源によって発展し、津波により、たくさんの命、もの、つながりが失われた。その女川町で、たき火という小さな自然の化身を手がかりに、人と人の新しいつながりを生む活動は、これからも、女川の自然の恵みと共に生きて行こうとする、女川町の人々を励まし、優しくあたためている。

 

今も昔も変わらず、 たき火を囲むという事とは、私たちは、大きな自然のほんの小さな一部を借りて、在る、という命の本質を受け入れるための儀式なのだと、改めて感じた女川町での2日間であった。

《執筆者プロフィール》

大島 広子(おおしま ひろこ)

フリーランスの舞台空間および衣裳デザイナー。こども、中高生向け演劇ワークショップのファシリテーターとしても活動。ベルリンで参加した「公共性とはなにか?」という演劇ワークショップをきっかけに、アートプロジェクトに関心を持つようになる。

www.hirokooshima.net

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2012年9月号「迎え火特集」