【対話日記】風の中で、再び歩みはじめる

文・写真:海子 揮一

 

今朝の宮城の空は真っ青に抜け、3日連続の強風が駆け巡っている。沿岸部では更に強い風が吹く朝を人々は忙しく行き交い、希望の旗は真横にたなびいていることだろう。

そして今日、震災の日から3年目を迎える。


名取の自宅が被災して、借り上げ仮設住宅に住まいを確保してまもなく、この活動が始まった。振り返る余裕もない位にめまぐるしく変化する日常の中で、あまりに多くの事が指の間から零れ落ちていき、できることしかできなかった。そんな立ちすくんでいる私を、女川の皆さんの笑顔や覚悟が勇気づけ、仲間、友人、そして家族が強く支えてくれた。心から感謝しています。

女川町で、そして日本各地の様々な場所で話させて頂いた。そして問われる事で自ら検証し見出していく機会でもあった。対話工房の理念と実践を一言で説明するのはとても困難で難しい。しかし会話の時間を惜しむ方々にはこう説明している。

「互いに立ち止まる時間を作っています」

復興事業に追われる方々、答えのない日々に足止めされる方々には誤解を招いてしまうかもしれない。しかし震災直後において様々な環境変化や制度の急流に曝されるのは自明だった。慣れない避難所や仮設住宅の生活が膠着し、人々の心にすれ違いが生まれた時に、居心地の良い語り合いの場としてカフェが作られた。サポートした迎え火プロジェクトでは我が家があった場所の輪郭が消えてしまう前に、家族で火を囲み、人々が顔を合わせ、街の灯が蘇った。
様々な段階で迫り来る一種の焦燥感に支配される中で、互いに足を止める時間は本当に愛おしく貴重だ。
「立ち止まる」は生命がある限り「停止/停滞」ではない。学校の帰り道、道草、寄り道で子どもが多くのきらめきを見つけるように。あるいはある絵画の前で足を止め、その前で人は様々な体験をし、次なる歩みに誘われるように。


ゴーギャンの有名な大作にこんな表題の絵画がある。作家は絶望の中で己の生命を絞り出す様にこの作品を書き上げた。
「われわれはどこから来たのか/われわれは何者か/われわれはどこへ行くのか」
Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?
この問いに正解はない。生命ある現在があってこそ、この問いに向き合える。そしてこの喚起力と、この問い掛けと共に寄り添い歩むのが私の信じるアートの力だ。
様々な現場で対話の必要性を求める声は多い。しかし平たい関係で個々の主張を明確に表現し伝える西欧型の対話を、和と以心伝心を重んじる日本の、特に東北の日常に持ち込むのはまだまだ難しい。その想いを伝える表現をサポートするのも私たちの大切な使命のひとつ。だが、その前提に互いに理解し信頼関係をつくる時間が要る。
火を囲み、ダッチオーブンの温かな料理を分け合うこと、ソフトクリームを食べる幸せ感に微笑み合うこと、キャンパーで輝く風景に共感すること。その体験を経て、微かでも心の声が交わされていく。日常も非日常も越えて、自己と他者の声を聴く命の交錯。

震災2年を経て線引きが細分化され、「本当の震災が始まった」という声を最近多く聴く。不安や癒されない傷を抱える人、不信感に苛まれる人もまだまだ多くいる。震災に関わらず、あらゆる場所で困難の中にいる人々にとってそれがどんな残酷な現実だとしても、生命がある限りそれぞれの歩みの中で逞しくなるしかない。そう宿命づけられた生き物なんだと思う。そして心のある多様な生き物だからこそ、色々な表現があっていい。女川に通う度に、生きる方々の輝く生の姿からそう学ばさせていただいている。

昨日を想い、今向かい合う人に耳を傾け、明日を夢みて歩み出す。
この言葉の重みを再び噛み締めたい。
3月11日は貴重な立ち止まりの時間。失われた命を偲び、各地で今日を生きる友人達の顔を浮かべながら、その時を家族と静かに過ごそうと思う。

 

2011.3.11→2013.3.11

(建築家/宮城県名取市)

 


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