宮城県牡鹿郡女川町は三陸リアス式海岸の最南端にある有名な漁港を中心ににぎわう小さな町でした。2011年3月11日発生の東北地方太平洋沖地震による津波で市街地のほとんどが壊滅。港での波高は14.8m、当時避難所となった標高22mの高台にあった町立病院まで押し寄せ、その威力は丈夫なビルを数多くなぎ倒しました。この惨事は死者・行方不明者942名の犠牲を生み、町内・町外に合わせて1000名の避難者を出す被害を受けました。
また東北地方に電力を供給していた女川原子力発電所は高台にあったためにかろうじて津波の直撃を受けず非常用電源が確保され自動停止したものの、周辺設備を喪失し多くの職員が犠牲となりました。
避難所から仮設住宅に人々の住まいは変わりましたが、平地の少ない地勢上元のコミュニティが各地域に分断されており住民の孤立化が問題になっています。
瓦礫が片付いても、海の色が戻っても町の存亡の危機常に背中合わせの状態が続いています。この展望の見えない中で、人々は見えない未来への道標をつかもうと必死に今を懸命に生きています。港町の明るく快活で開放的な女川の人々は、笑顔を絶やさずに前を向こうとしています。
2011年4月~7月の間複数回にわたり現地調査し、女川町復興連絡協議会と話し合いを重ねてきました。女川町地域医療センター(旧町立病院)敷地内を最初の予定地とし、コミュニティカフェを建設する為の助言やワークショップ開催などの支援を行う計画です。また各仮設住宅村を定期的に巡回できる移動式工房カフェも製作します。地元協議会と建築家、アーティストの三者間で設計から運営までを計画し、ワークショップ等を通して住民が製作に参加できる仕組みを作ります。
女川コミュニティカフェプロジェクト2011
[主催] 対話工房/えずこ芸術の街創造実行委員会/東京都/東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)※本事業はArt Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)です。
[後援] 女川町復興連絡協議会
[協力] 震災リゲイン/ドイツ大使館/太宰美装/(有)梅丸新聞店/海建築事務所
2012年
3月
31日
土
文・写真:海子揮一
コミュニティカフェプロジェクトの第4回となるワークショップ「カフェづくり× つくる・きく・はなす」後編が2月19日に開かれました。参加者と共に前回のワークショップで製作されたギャラリーの壁のペンキ仕上げと、店内の壁の一部を「灯台しっくい」で仕上げました。
職人さんと下地作り
今回、特別講師として塗装職人の太宰聖一さんをお迎えしました。太宰さんはお父さんから伝えられた灯台の為の石灰塗料の技術を受け継いでいる方で、ワークショップの日に実際に材料を調合し、参加者への塗り方の指導の為にお招きしました。
前日の18日、太宰さんの協力の元で、対話工房のメンバーである小山田・海子と共に下地作りとなる「パテかい」作業を行いました。おちゃっこクラブが通常営業の日のため、来店したお客さんの視線を感じながらの作業。普段は黙々と建築現場で孤独な作業が多い太宰さんにとっては、少し緊張する時間だったようです。パテ作業にはメンバーの岡と息子の鈴之助くんも参加。時には代替バスの出発を待っていた若者も加わって少しずつ進んで行きました。夜には力強い助っ人も現れました。大阪から車で駆けつけてくれた白石さんは内装業が本職。慣れた手つきで持参した道具を自在に操り、作業が俄然スピードアップ。まさに下地作りの救世主でした。
灯台しっくいをつくる
ワークショップ当日の朝、太宰さんはおちゃっこクラブの脇にある空き地にドラム缶と海水の入ったタンクを運びこみました。「灯台しっくい」の調合の始まりです。石灰石と海水を混ぜ合わせると反応して高温の熱が発生します。その温度は200度近く。大量の水蒸気が立ち上る中、太宰さんは真っ白になりながら撹拌を続けました。さらに膠やスサ、砂を加えて、温度が冷めれば「灯台しっくい」の完成です。
この「灯台しっくい」の元は太宰さんのお父さんが若かりし頃、第二管区海上保安庁の仕事で東北各地沿岸にある灯台を塗り替える仕事の中で身に付けた技術でした。20代だったお父さんは石灰石と道具だけを持ち歩き、各地で人足を集め、断崖絶壁の上にある灯台でもロープに吊られながら上から下へと上下を繰り返して灯台を塗りあげていったそうです。現代では合成樹脂の塗料が主流となり、危険度も労力もはるかに改善され、この「灯台しっくい」の技術とエピソードは忘れ去られようとしています。しかし、実際に材料を作り、材料に触れて手を動かすことで、新しい物語を加えて未来へと引き継がれていく可能性が生まれるのです。それは津波によってモノとの関係を断たれてしまった人々にとって、もう一度新たに関係性を築いていく大事なステップとなると考えています。
いよいよ壁塗り
材料が冷えて、壁塗りができる準備が整いました。子供も大人も壁塗りの上ではどちらも初体験。塗り方も道具もそれぞれ自由。子供たちも最初はなれない作業に集中できずに漫然と壁に塗りつけているだけでしたが、やがて独自の塗り方を発見して、緻密に平らにしていく子、大胆に仕上げていく子、大人顔負けのコテさばきを見せる子など個性がそのまま壁に転写されていきした。けっして楽な作業ではありませんでしたが、夕方までにはカフェの間仕切り部分の壁が仕上がりました。完成した壁をみると実に表情が豊かなものになっています。彼らが成長して大人になるころにはこの仮設カフェは残っていないかもしれないけれど、きっとこの日の作業の思い出は忘れないことでしょう。
新しい記憶を壁に塗りこむ
自分の手を動かした後が形となる。たとえそれが整っていなくとも、記憶や想いという表現を受け止める場がまだまだ足りないことを実感します。特に仮設暮らしを余儀なくされている人々にとっては、いずれまた転居を迫られるまでの仮の関係性でしかない、と虚しさが入り混じった暮らしであるかもしれません。
しかしモノの寿命と人の関わりや出会いというのは必ずしも比例しない気がします。
震災後、女川に関わるきっかけとなった、私の設計したカフェ「ダイヤモンドヘッド」は5年に満たずに流されてしまいました。その5年に満たない月日の間にそのお店を取り巻いていた人々の輪や、たくさんのエピソードを被災後の今でも女川で会う人からたびたび耳にすることがあります。その記憶と人のつながりが対話の場を再び求め、今のおちゃっこクラブを立ち上げる原動力になったと聞いています。
かつてのダイヤモンドヘッドの内装は同じ灯台しっくいで仕上げられていました。講師の太宰さんは、実際にその工事を担当した方でもあるのです。今回のワークショップで目指したものは、女川の人々の核となっていた場のひとつの再現であると共に、これからの5年、おちゃっこクラブが新しく人のつながりと記憶を生み出していくという物語のはじまりでもあるのです。
ゆえにプレハブでありながら、これは「仮設ではない」という宣言でもあるのです。
ギャラリーの壁のペンキも19日中に仕上げることができました。滑らかな壁の仕上がりも上々です。今後は更にスポットライト照明も増設し、女川の今を映す表現と対話の場として活用してもらうように準備していく予定です。
おちゃっこクラブにお越しの際にはギャラリーの展示中の作品と共に、「灯台しっくい」の壁もぜひ着目してみてください。
2012年
3月
21日
水
2012年1月29〜30日、対話工房の「女川コミュニティカフェプロジェクト」における第3回のワークショップが開かれました。今回のレポートでは、そのようすをお知らせします。
ギャラリーづくり×つくる・きく・はなす
文(1日目):内田伸一
ワークショップの場所は今回も、宮城県・女川町地域医療センター(旧女川町立病院)前の仮設コミュニティスペース「おちゃっこクラブ」。このお店は、プレファブの仮設住宅を使った町民施設が並ぶ一棟の中にあります(ちなみにお隣は歯医者さんと薬局)。この場所の人気メニューになったソフトクリームのオブジェと、手作りの看板が目印です。
第1回ワークショップでは、この「おちゃっこクラブ」が町にとってどんな場所になるとよいかを、地元在住メンバーの岡をはじめ、住民のみなさんと話し合いました。そして第2回は、沖縄から対話工房に参加しているティトス・リプリーを案内役に、紙製の空飛ぶランタンづくりに挑戦。地元の子どもたちも参加し、未来への想いを書き添えたランタンを夜空に飛ばすひとときを過ごしました。
「おちゃっこクラブ」は現在、岡夫妻がコミュニティカフェとしてきりもりを始めています。ここをより魅力的な集いの場にできたらと、お店の一角に手づくりのギャラリースペースも作ろうということになりました。そこで今回のワークショップでは、大工仕事をしながらギャラリーのための壁を皆でつくりあげることに挑戦します。
ひとつずつ、すこしずつ組み上がる新しい場所
朝10時からはじまったワークショップ。今回は体を使った大工仕事なので、まずはラジオ体操で手足をほぐします。1日目の目標は、ギャラリー空間のために、お店の半分弱の内壁へベニヤの下地を貼付けるところまで。進行役は対話工房の海子と小山田がつとめます。建築家の海子は、岡店長が津波の前に女川港で開いていたお店「ダイヤモンドヘッド」の内装設計も手がけました。小山田は各地でコミュニティづくりの経験から、大工仕事はお手のもの?
頼りになるといえば、忘れてはならないのが、岡の息子で小学生の鈴之助くん。最近、秘密基地づくりに凝っている彼は、大工仕事にも興味津々です。やはり女川出身で、いまは石巻で高校の美術講師をつとめる梶原さんも参加してくれました。彼女は、高校生たちと一緒につくった表札を仮設住宅の方々に贈る取り組みもしているかた(詳細はこちら)。ほか、メンバーの知人からも、海子の旧友・金野さんや、相澤の建築家仲間・友寄さんらが合流。国際交流基金の研究員として日本のコミュニティとアートの関係を調査するため訪れたキース・ウィットルさんも、気づけばのこぎりを手に取ってくれていました。
まずは、壁にある2つの窓をふさぎます。結露防止のスタイロフォームを窓のサイズに上手く切り貼りする作業では、対話工房の渡邉が奮闘。デザイナーの彼にとって、定規とカッターは慣れ親しんだトモダチ? 下地作業も同時進行します。既存の壁に木材で格子状に骨組みを組んだうえで、そこに板を貼り込んでいくことにしました。対話工房の映像担当・泉山も、かつて美術展設営を手伝ってきた腕前を発揮。測量ツールさばきも堂に入っている彼と小山田には、さっそく「棟梁」のあだながつきました。
骨組みの木材は、のこぎりで長さを揃えます。このあたりからは、参加者のみなさんで一緒に作業。対話工房の女性陣、建築家の相澤と写真家の草元も参戦します。ふだん編集・ライター業の内田は手先が不器用なので…鈴之助君にも手伝ってもらったりしながらの作業です。
切り揃えた木材は、噛み合わせ部をノミで抜き落とします。ここで鈴之助くん大活躍。スコーンスコーンと木材にノミが入るのが気持ち良いのか、「いくよ?いくよ〜!」と元気よく声を上げながら次々と仕上げてくれました。端材も集めていたので、秘密基地に使うのかもしれません。
途中、「おちゃっこクラブ」の名物、岡ママ自慢のナポリタンや、外で焼いた石焼き芋をほおばりながら休憩。近くの工業高校で作ったものを譲ってもらったという鉄製焼き釜のふたを開けると、モクモクと煙があがり、その向こうから仙人(?)のように岡が芋を差し出してくれました。まだ寒い1月の女川町。高台から冬の海を眺める参加者の想いはそれぞれだったと思いますが、暖かい焼き釜を囲んでの休憩はほっとするひとときでした。
それぞれの郷土料理を持ち寄っての夕食会
美味しい食事で元気を補給しながら、作業は続きます。枠組みの木材は、既存の壁の支柱部分を探りながら打ち付けていきました。切っている最中にはわからなかったのですが、それぞれの長さの木材に、それぞれの場所と役割があります。すべてがうまく組合わさることで、新たな壁のための頑丈な枠組みができあがりました。
そしていよいよ、この日最後の作業。ベニヤ板を貼っていきます。畳一枚ほどのサイズのベニヤ板を、どう切り出し、組み合わせればシンプルに全面を覆えるか、現場の試行錯誤も交えつつ決めていきます。電動ドライバーの音が響き、ラストスパート。そしてついに完成です!(といってもまだ下地ですが)。この日の作業はひとまずここまで。
そのまま「おちゃっこクラブ」で夕食が始まりました。この日のもうひとつのお楽しみ、それは対話工房メンバーそれぞれが、故郷の名物料理を持ち込むご飯会です。宮城の名取市に住む海子は、お手製のセリのおひたしを。渡邉は仙台在住ですが、実家・栃木の名物「しもつかれ」をお母さんの手づくりで持参。また別府出身の草本は「だんご汁」を、高校生まで沖縄ですごした内田は、お麩(ふ)の炒め物「フーチャンプルー」をふるまいました。
夕食会には、女川町復興連絡協議会の鈴木敬幸さんをはじめ、新たに地元の方々がいらしてくれました。なかには手づくりのシフォンケーキを持ってきて下さるという、嬉しい飛び入り参加も。えずこホール(仙南芸術文化ホール)のスタッフの方や、ドイツ大使館の震災支援担当官・ライナー・シュルツさんなど、対話工房の活動に協力してくださる人々もそれぞれのお仕事の合間に合流。話がはずみ、岡一家は特製ハイボールほか、飲み物の用意に大忙しです。
ベニヤで覆われた作業途中の「おちゃっこクラブ」で、大所帯の家族の食卓のようなひととき。「おちゃっこクラブ」の新メニューを考える、というもうひとつの目的もあってのこの試み、もしかしたら、ここから新たな名物のアイデアが生まれるかもしれません。
アイデアといえば、この夜の語らいの中から、夏には女川で「一夜の小さな火を灯そう」という話が持ち上がりました。その後、この案は実現に向けて動きだしています(詳細はまたこのサイトでご報告します)。コミュニケ-ションを大切な軸にする対話工房として、こうした自然な語らいから次の活動のきっかけが生まれたのも、嬉しい出来事でした。
翌日は今回の仕上げ作業。ここまでのテキスト担当・内田は残念ながら翌朝移動してしまったので、以降は海子さん、お願いします!
翌日、下地壁の仕上げへ
文(2日目):海子 揮一
次の日の朝、宿泊先の「華夕美」で二手にわかれた対話工房チーム。作業班である小山田・泉山・海子、そして金野さんの4人は朝9時におちゃっこクラブに到着しました。この日は雪が薄っすらと被災した町を覆い、高台から眺める女川湾はとりわけ美しく、作業が始まる前の静かな現場の空気には厳かな気配すら漂っていました。
平日であるため、特に参加者の募集は予定しておらず、対話工房メンバーだけでこの日の作業を進めました。前日に下地のコンパネ張りまで進むことができたので、「棟梁」の小山田と泉山の二人で作業のほとんどをこなすことができました。作業は塗装の仕上げの下地となる石膏ボード(石膏を紙でサンドイッチした一般的な建材)をギャラリーの壁一面にビスで張っていくものです。こういった作業全般に言えることですが、下地づくりの出来不出来によってその後の工程の作業は大きく影響されます。専門の職人が何気なく当たり前にしていることなので、仕上がった一枚の壁からはイメージできないかもしれません。自分たちでこの作業をやるにはいくつかのコツと道具が必要ですが、完成までのプロセスを知ることは「場」を自分の手で獲得していける自信へとつながります。
作業は極めて順調に進み、午前中でそのすべての工程を終えることができました。出来上がってみればそこに3つの窓があったことすら忘れてしまうようで、壁がもつ安心感と、断熱材を入れたことで部屋が格段に暖かくなりました。
翌月の第4回ワークショップでは、いよいよ仕上げとして白いペンキと、一部には女川の海の水からつくった「灯台しっくい」をみんなの手で塗っていく予定です。とても完成が楽しみです。
[今回の壁作りに使った道具たち]※左から
差し金、のこぎり、のみ、水準器、ボード用カンナ、クランプ、かんな、ドライバ、玄能(金槌)、ボード用やすり、コンベックス、電動丸鋸、えんぴつ、下げ振り、カッターナイフ、チョークライン、充電式電動インパクトドライバー、養生テープ、引き回し鋸、ネイルハンマー
2012年
3月
20日
火
文:ティトゥス・スプリー(対話工房メンバー)
女川の印象
昨年9月、私は初めて東北地方を訪れたので、大震災後の東北しか経験していない。この時すでに瓦礫のほとんどは撤去されつつあり、町だった場所は雑草が生えた無名の更地になろうとしていた。人々の生活の場だった事実は、残されたわずかな痕跡から辿らざるを得なかった。人間の空間であった場所、また過酷な経験があった場所は、私の前で沈黙していた。
それと対照的だったのは非常に厳密に計画された仮設住宅の街だった。現在の女川はこの2つの極に挟まれて形作られていると感じた。「記憶のまち」と「仮設のまち」…2つのまちがこの女川に同時に存在している。
しかし、状況的には膠着しているという印象と同時に、女川住民一人一人の創造的なエネルギーも感じた。
女川の状況を見てもう一つ頭にモヤモヤと巡ったのは、人間と自然の関係についてだった。人間は自然の中でどれだけ虚弱な存在であるのか。人工的に開発されコントロールされていると思い込んでいる環境は、この地球上のどれだけ薄い「層」でしかないのか。
日常の便利な生活で消されてきた自然の存在感が改めて思い出される。人間の生き方は自然の力や自然の流れに根本的に合わせないと続けられない。どんなに豊かな知識も、どんなに進んだ技術も、自然の力には対抗できない。自然の力を読むには、人間の感覚から生まれてくる想像力が一番重要ではないだろうか。そもそも想像力とは自然の力に対抗するために、人間が自ら開発した能力ではないのだろうか。
特に原子力発電所が身近に存在している女川で復興に邁進する中、人々が自然との関係をどう作り直すのかが大きなポイントになるだろうと思った。
スカイランタンワークショップ
今回第2回目となるワークショップの内容は、まずカフェスペースのために何かを作ろう、という話しから始まった。灯りが少なくなった女川の夜にもっと心温まる灯りをともしたいと考え、それがランタンづくりの発想につながっていった。スカイランタンを女川の空に飛ばしたいという考えが芽生えたのは、9月初めて女川に来た時だと思う。高台の病院の下に広がる海とそこに面した消えたまちを見た時、そこに何かを解放したい気持ちになっていた。リアス式海岸特有の景色の女川湾から、遠く海を越えて飛んで行く一つの光を想像した時、この場所の記憶を参加者自らの手で変えられるのではないかという仮説を立てた。
当初、スカイランタンづくりはワークショップのメイン企画ではなく、むしろ付録として考えていた。ところがワークショップ当日は子供が多く集まり、彼らと一緒に作っている間に、気が付けばランタンを作り、女川の空に飛ばす為に沖縄から飛んできたということになっていた。
参加者の皆さんとランタンを作り始め、完成に近づくにつれ、本当に飛ぶのか?実際に飛ばすのか?と、会場のおちゃっこクラブ店内はどんどん緊張感が上がってきた。
その初飛行の一個目、火を点してもスムーズに上昇せず、ランタンは不器用に空に上がっていった。たどたどしく飛び上がり、歓声や悲鳴と共にその行方を皆と消えるまで見届けたことが一番印象に残っている。あの時間、大人も一緒に子どもになっていた気がした。あの場所には、飛ばして大丈夫か?という心配を超えて、飛ばしてしてやろう!というエネルギーが満ち溢れ、ランタンの飛翔と共に一気に解放され、後には熱い空気が残った。
※スカイランタン飛翔(2個目)の映像はこちら。
子供たち
まだ短い時間しか関われていないので印象だけではあるが、子どもの生命力はとても強いと感じた。子ども自身の前向きな生き方はこういう大震災の体験があっても失われないだろうが、それに比べて周りの大人へは大きな影響があると思った。おそらく大人は厳しい状況下であればあるほど「子どもを守りたい」と思うのだろうが、大人が心配や苦しみを抱えて隠せば隠すほどに、子どもはそれを強く感じるのではないだろうか。
このような状況の中、一番必要ではないかと思ったのは、大人から一歩離れ、子どもたちが気持ちを解放できる場である。大震災では子どもたちも大変なストレスを負い、もちろん大人のケアを必要としているが、子どもしか持ってないエネルギーは大人が縛りすぎれば失われる性質のもの。自由に遊びながらストレスやテンションを解放する機会と場が多くあった方がいいと思う。
気楽に遊べる安全な場、また自然の中で人間の悩みの浄化を助ける場が必要ではないかと思った。人智を超えた自然の予想できない力から直に圧倒された人々だからこそ、あえて自然との関係を大切にしてほしいと願う。
そしてそれは女川にとどまらず、大震災から自然を学び考える機会として、多くの人々に受け取ってもらう必要があるのではないかと思う。
ティトゥス スプリー Titus Spree
(建築家・美術家・琉球大学教育学部美術教育准教授)
1966年ドイツのウルム生まれ。 1986年ミラノのドムスアカデミー卒業。 1994年ベルリン芸術大学において建築の修士課程修了。 1996年日本に留学、東京大学建築学科で研究生と大学院博士課程 2001年より沖縄を拠点に、建築・デザイン・アート・教育を横断的に結びつける国際的な活動を展開。 、「向島ネットワーク」(東京墨田区)、「プラットフォーム-C カッパドキア・アカデミー」(トルコのカッパドキア)、「ワナキオ」(沖縄那覇市)など多数のアートと地域再生プロジェクトでディレクターを務める。
2012年
2月
09日
木
「カフェづくり× つくる・きく・はなす」後編
女川町立病院前の仮設コミュニティスペース「おちゃっこ倶楽部」を、魅力的な場にしていくワークショップの第4弾。ギャラリースペースを作る作業の仕上げにかかります。
建築現場のイメージには近づきにくい職人さん達だけの世界という印象はありませんか?でも一歩でも近づいて見てみれば、シンプルな壁を仕上げるにも多くの技術や知恵と物語がたくさん詰まっています。普段は聞くことの出来ない職人さんのトークとレクチャーがついた、ちょっと変わった作業ワークショップです。
しかも使う材料は会場で女川の海水を混ぜあわせてつくります。カフェの壁をキャンバスにして、自然の恵みを練り込んだ「しっくい」を思いっきり塗ってみませんか?
前回に引き続く作業ワークショップの後編です。ぜひ「町のギャラリー作り」にご参加くださる方を募集しています。
[日時] 2012年2月19日(日) 10時~18時半ごろ
※前日18日(土)、翌日20日(月)も作業予定です。こちらも参加者を絶賛募集中です。
[会場] おちゃっこクラブ
(女川町立病院前 仮設コミュニティースペース内) →周辺地図
[参加料] 無料 (作業しやすく、塗料で汚れてもいい服装でおいでください。)
[内容]
つくる Dialogue and Make 10:00 ~ 17:00 頃
塗装職人の太宰さんの指導で、女川湾から汲んだ海水を使って壁に塗るしっくい「灯台しっくい」を現場で調合します。調合の瞬間のダイナミックな化学反応は必見です。ふるさとの自然にある素材が建築材料に変わっていく瞬間に立ち会って見ませんか?
しっくいが出来上がったら午後からカフェ店内の壁に一緒に塗っていきます。
※前日の18日は下地づくり、翌日の20日はペンキ仕上げ作業を行なっています。塗装のテクニックを身につけたい方、ワークショップ当日参加できない方など歓迎しています。詳しくはお問い合わせください。
きく talk 17:00頃~
いよいよ完成近くなる「おちゃっこクラブギャラリー」(仮)で、どんな展示をしてみたいか、どんな作品を見てみたいかをアイディアを出し合います。またギャラリーの運営の仕方についても幅広くご意見を募集します。
はなす Talk
今回のしっくいの技術は塗装職人の太宰さんがお父さんから伝承された貴重な知恵と経験がたくさん詰まっています。海と共に生きてきた職人さん達の暮らしにあったたくさんのエピソードをお話いただきます。
また「仮設」暮らしの中のものづくりでは何が可能なのか?どんな意味があるかを対話工房のメンバーと話し合います。
[特別講師]太宰 聖一
太宰 聖一(塗装職人)
1966年神奈川県川崎市にて、宮城県七ケ浜で代々に船大工を営む家系に生まれる。東北工科美術専門学校グラフィック科卒。在学中よりショッピングセンターの壁画制作等に携わる。卒業後仙台のデザイン会社に勤務し。 東北博、地下鉄開業、伊達政宗ブーム年で毎日徹夜の日々を送る。デザイン会社を退社後、1990年から家業の「太宰美装」で従事し、現在は主に看板・建築塗装業を手がける。
●主催:対話工房・えずこ芸術のまち創造実行委員会・東京都・東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)※本事業はArt Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)です。
●後援:女川町復興連絡協議会 ●協力:震災リゲイン・ドイツ大使館・太宰美装・海建築事務所
2012年
1月
18日
水
「カフェづくり× つくる・きく・はなす」前編
女川町地域医療センター前の仮設コミュニティスペース「おちゃっこクラブ」を、魅力的な場にしていくワークショップの第3弾。いよいよ店内の一部にギャラリースペースを作る本格的な作業に入ります。
大工仕事や工作作業を通して基礎的な道具の扱い方を学んだり、みんなの手で少しずつ違う空間に変わっていく体験を共有していきます。終了後には、各地から集まったメンバーの郷土料理を味わうひとときも。
このギャラリーは、地元に生きる人同士の、また訪れる様々な人々との対話の場となる町の舞台。全2回の作業ワークショップの前編です。腕に覚えある方も、初めて電動工具を持つ人もぜひ「町のギャラリー作り」にご参加ください。
[日時] 2012年1月29日(日) 10時~18時半ごろ
※翌日30日(月)も作業予定です。こちらも参加者を絶賛募集中です。
[会場] おちゃっこクラブ
(女川町地域医療センター前 仮設コミュニティースペース内) →周辺地図
[参加料] 無料 (作業しやすい服装でおいでください。)
[内容]
きく talk 随時
身近な暮らしの中の「DIY」や「日曜大工」の状況について参加者のみなさんにお聞きします。工作にはどんな環境が必要かを語り合います。
つくる Dialogue and Make 10:00 ~ 17:00 頃
対話工房メンバーと一緒にギャラリーの壁を作ります。「壁を作る」作業は一見単純に見えて工作の基本の技術が詰まった作業です。共同で楽しく作るコツをお伝えします。ぜひ一緒に作りませんか?
はなす Talk 17:00 ~ 18:30 頃
作業終了後に、メンバー持ち寄りの郷土料理の試食会を開きます。各地の味を楽しみながら、女川町の身近な食文化を話し合います。参加者の女川の皆さん!食卓から自慢の一品を持ってきて下さるのも大歓迎です。
[進 行]小山田徹(美術家)/海子揮一(建築家)
小山田徹(美術家・京都市立芸術大学准教授)
1961 年鹿児島に生まれる。京都市立芸術大学日本画科卒業。84 年友人たちとパフォーマンスグループ「ダムタイプ」を結成。主に企画構成、舞台美術を担当し、国内外の数多くの公演に参加する。1990 年から、さまざまな共有空間の開発を始め、コミュニティセンター「アートスケープ」「ウィークエンドカフェ」「コモンカフェ」「祈る人屋台」「カラス板屋」などの企画をおこなうほか、コミュニティカフェである「Bazaar Cafe」の立ち上げに参加するなど、さまざまな友人たちと造形施工集団を作り共有空間の開発を行っている。
海子揮一(建築家)
1970年宮城県生まれ。豊橋技術科学大学建設工学科卒。アジア・ヨーロッパ各国の民俗建築を巡る大陸横断の旅を経て、建築設計の実務に携わる。2000年に海建築事務所を開設。1級建築士。並行して、アート屋台プロジェクト(2008年-)、対話工房(2011年-)を立ち上げ、人と土地の新しい関わりの場を作り続けている。
●主催:対話工房・えずこ芸術のまち創造実行委員会・東京都・東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)※本事業はArt Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)です。
●後援:女川町復興連絡協議会 ●協力:震災リゲイン・ドイツ大使館
次々回予告
2月19日(日)9時から。
いよいよ壁を仕上げる「ギャラリーづくり」後編です!ぜひご参加ください。