2017年
3月
19日
日
季節が冬から夏へと切り替わる春分の日から、期間限定でドキュメンタリー短編映像「うみやまさんぽ Walking the solstice」を公開します。
この動画は2013年の3月春分の日に始まった、女川町の歴史と地形にまつわるウォーキング企画「うみやまさんぽ」 の3年にわたる取り組みを紹介する活動記録ですが、「なぜその土地に愛着やアイデンティティを人は持つのか」という普遍的なテーマに基づいた物語として制作しました。
1年前の2016年2月にせんだいメディアテークの「星空と路」上映室で公開された作品に、今回は新しく映像の一部を追加し、また高画質化や音質調整など再編集しました。
さらに、聴覚障害者の方の視聴の補助としてバリアフリー字幕付きバージョンも加えています。こちらは健常者の方でも聞き取りにくい部分を理解する上でもオススメのバージョンとなっています。
また、多くのシーンではこの映像のために制作された音楽が使用されています。ヘッドホンなど良い音響で視聴されると、女川特有の美しい風景や自然の映像をより楽しく味わえます。
以下のリンクからご視聴ください。(このページ下部の動画はトレーラー版です。)
公開は4月20日まで。
以後は他のバージョンも含めて完成次第、改めて公開する予定です。
Story
「古代の海の民にとって太陽と遺跡と山の配置に意味があったのではないか」
小さな島の縄文遺跡を訪れた地域研究者が描いた海洋民族の仮説。それは古くから漁師たちが航海で目印としている山に夏至と冬至の太陽の軌跡が重なる、というものだった。仮説に夢を抱いた土地の自然を守り活動する人、島に生きる住民、遠くから女川を思う美術家などが集まり、夏の島や冬の山で日没や日の出の一瞬を共に待った。
地形に残されたはるか太古の記憶や震災で失われた記憶と、それぞれの「その場所」への想いを重ねながら、人間と自然との関わりの先に未来を切り拓く取組み「うみやまさんぽ」の3年間を描く。
Data
出演|藤中 郁生、小山田 徹、山田 創平、岡 裕彦ほか
撮影年月日、撮影地など|2013年3月〜2015年12月(宮城県女川町石投山・女川町出島)
時間|21分37秒
制作年|2016年
撮影・録音・編集|海子揮一
音楽|Onagawa Jomon Orchestra
協力|女川ネイチャーガイド協会、女川町ふるさと歴史友の会、女川町教育委員会生涯学習課他
協賛|京都市立芸術大学サイレントアクア実行委員会
制作|一般社団法人 対話工房
2016年
2月
22日
月
女川の山や歴史を舞台に女川ネイチャーガイド協会さんと二人三脚で継続してきた対話工房のプロジェクト「うみやまさんぽ」。その3年間の取り組みを描いた短編映像が、来週の2月28日(日)13:07〜、せんだいメディアテーク7Fスタジオシアターで上映します。2/27〜28は他にも素晴らしい作品が多く上映されます。大きなスクリーンで壮大な風景と迫力ある音楽をぜひご高覧ください。
◎3がつ11にちをわすれないためにセンター「星空と路」上映室
http://recorder311.smt.jp/information/48942/
本映像は、震災で喪われたものを描くのではなく共に作ることを主題にしており、またミュージックビデオ並みに音楽を多用した構成になっています。震災後に沿岸部を舞台にしたドキュメンタリー映像としては珍しい部類に入るかもかもしれません。
20分あまりの短編ですが、震災後の様々な状況に振り回されながらも女川の山を愛し守り続ける人の想い、奇跡のような一瞬に集う人たちの想いが少しでも伝わることを願っています。
なお、サウンドトラックは女川に在住の企画参加者によるOnagawa Jomon Orchestraが担当。録音はできたばかりの女川町まちなか交流館のスタジオを借りて行なわれました。
この企画や撮影にあたってはネイチャーガイド協会の藤中郁生さん、地域研究家の山田創平さん、女川町ふるさと歴史友の会さん、京都市立芸術大学の学生さん、メディアテークのみなさんそして出島のみなさんなど多くの方々のご協力をいただきました。
ありがとうございました。
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『うみやまさんぽ Walk along the solistice』2016年
「古代の海の民にとって太陽と遺跡と山の配置に意味があったのではないか」
地域研究者・山田創平氏の仮説に夢を抱いた人びとが集まり、冬の山や夏の島でその一瞬を待った。それぞれの「その場所」への想いを重ねながら、自然との関わりの先に未来を切り拓く取組みを描く。
[撮影・録音・編集]海子揮一
[音楽]Onagawa Jomon Orchestra
[撮影地]宮城県女川町
[撮影日]2013年3月—2015年12月
[制作年]2013年—2015年
[上映時間]21分
2015年
1月
26日
月
今回は「アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)2014」のネットワークを通して「うみやまさんぽ」4 冬至キャンプにご参加頂いた、大島広子さん(舞台空間/衣裳デザイナー)によるレポートをご紹介します。主催側とはまた異なる視点で綴られた参加体験として、ご紹介させて頂きます。対話工房としても、今後の活動の参考になるものとしてありがたく拝読しました。
*同レポートはAAF2014活動報告書用に執筆されたものを、大島さんおよびAAFのご厚意により転載させて頂きました。関係各位に御礼申し上げます。
女川の自然と火と人 − 対話工房 「うみやまさんぽ」4 冬至キャンプに参加して
文=AAF東京校 大島広子
「うみやまさんぽ」4 冬至キャンプ
2014年12月21日、冬至の前日の朝、対話工房メンバーの海子揮一さんにお会いした。「うみやまさんぽ」4 冬至キャンプに参加するためだ。うみやまさんぽとは、女川ネイチャーガイド協会と対話工房のコラボレーション企画として、今回で4回目の開催となる。女川最高峰の石投山(いしなげさん)の山頂に登って、海の方向にある出島(いずしま)より上る冬至の日の出を見よう、というのが今回の目的。この対の企画として、半年前の夏至の日に「うみやまさんぽ」3夏至出島縄文キャンプは開催されている。それは出島の遺跡から、対岸の石投山に沈む夏至の日没を眺める、という今回とは真逆のもの。うみやまさんぽとは、出島の古代遺跡は、女川で暮らした縄文人にとっての巨大な暦(カレンダー)だったのではないか、という仮説を元に、実際に女川の自然を歩き、過去と現在、時と空間について思いを巡らせるための小さな冒険旅行である。
昼食においしい女川カレーを食べた後、いざ標高456mの石投山へ。参加者は7名。大人になってから、ハイキングにすら行ってない私は、臆病な部分の自分を励ましつつ、冬の山を登り始める。黄色やだいだい、茶色の木の葉で埋め尽くされた自然の絨毯が続く斜面。途中2度休憩して、2時間ほどで山頂へ到着する。早速ベースとなる大きなテントを設営し、山頂にある枯れ枝を集める。 たき火の準備だ。火を付ける。暖かい。火に手を向けて暖を取りながら、参加者はぽつ、ぽつと話始める。
キャンプに切り餅を持ってこなかったことを、少し後悔していること。なぜ3ヶ月前から女川に住むことになったか。女川では昔クジラが水揚げされていて、クジラの水揚げの際には、港からサイレンがなるので、サイレンが鳴る度、港から少し陸に入った解体工場へクジラをよく見に行ったこと。コーヒーを持ってくるのを忘れたこと。来年の3月には、女川駅まで電車が開通し、駅前には新しく桜並木が植樹されること。いのししの背骨の両脇の肉はとてもおいしいこと。近い未来は女川にいるが、その先はまだわからないこと。
大笑いしたり、切なくなったりと、大きく感情が揺れる話ではなく、ただそれぞれが頭に浮かんだ事を話す。まるで、みんな昔からの知り合いのようにリラックスした雰囲気で、たき火の暖かさと揺らぎに寄り添うような、穏やかな時間。だが、火に面して温かい体の前面とは逆に、背中には冷気が迫ってくる。 テントの外はマイナス6度。 何かを食べ続けないといられない。おだやかなおしゃべりの時間にも、自分の体の中は「生きる活動=燃焼」に必死だ。気がつくと火を起こしてから5時間、22時を回っていた。
たき火を消して、寝袋へ潜り込む。だが眠れない。まるで保冷剤の上に布団をしいて寝ているようだ。冷たさがゆっくりと背中に感じられる。考え事なのか、夢なのか。その意識の狭間をうろうろしながら、長く、暗い夜と共に朝日を待つ。闇の中には、獣の気配、なにかの足音、風の鳴き声、昔の記憶が混ざり合う。
気がつくと、海子さんが朝のたき火の準備をしてくれている。間もなく日の出らしい。始まりの小さな火ですら、とても暖かくて、大切に思える。テントの外に出ると、女川湾の辺りから、明るい光が雲の間から見える。全員でご来光を眺める。少しづつまぶしい光が海から空へと離れていく。
朝ご飯をすませ、大きなテントをたたむ。山頂にて記念撮影。その後すぐ、急斜面をおそるおそる降り、下山が始まる。背中の大きな荷物に振り回されて、私は何度も転げ落ちそうになる。地面から突き出す霜柱や、落ちていた緑色のかいこまゆが、太陽の光を浴びて鮮やかに輝く。激しく根元から折れた大きな杉の木をまたぎ、10時過ぎに登り口へ到着。そこで今回のうみやまさんぽは、おひらきとなった。無事戻って来れた。小さな冒険の終わりには、安堵と共に、子供の時に感じた純粋でなつかしい喜びが待っていた。
対話工房 女川でともす火(あかり)
女川町は、宮城県東部、自然豊かな牡鹿半島の根元に位置し、漁業が盛んな町である。市街地の大部分は、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波で壊滅的な被害を受けた。対話工房は、女川町をベースに、失われた「表現と対話の場」を人々の日常に取り戻すことを目標に活動している一般社団法人である。メンバーは、案内をしてくれた建築家の海子さんを始め、女川内外の様々な表現者が集まり、現在10名。メンバーの多くは、東京、京都、ドイツ、沖縄など、拠点が女川町以外にあり、メンバー全員が一同に集まったことは一度もないが、それは対話工房らしさ、と海子さんは笑顔で話す。メンバーは女川でのプロジェクトに参加して、そこから得た学びを、それぞれの拠点へ持ち帰り発信する。いわばサテライトとしての役割を担っているのだ。これまでにトークショーや女川の写真展などがメンバー主導の元、京都、沖縄、別府、海を渡りドイツで行われている。
女川の今を外に向かって発信する活動と平行し、女川町の地域社会において、人と人のつながりや対話を生む活動の核となっているのは、コミュニティカフェ「おちゃっこカフェ」の存在である。対話工房メンバーであり、女川町在住の岡裕彦さんがオーナーで、現在は女川町地域医療センター内の港が一望できる一角で営業している。このカフェは、岡さんが避難所で暮らしていた際、地域の人たちが集い、語らう時間と空間の必要性を切に感じ、対話工房のコミュニティカフェプロジェクトとして、女川に住む人との恊働により誕生した。
海子さんは、おちゃっこカフェで提供されているソフトクリームにまつわるオーナー岡さんの思いについて、話してくれた。ソフトクリームは、人と人がコミュニケーションを交わす際の呼び水になりうる。なぜなら、人はソフトクリームを食べる時、大人も子供も、地位や財産の有無も関係なく、人前でベロを突き出し、食べなければらなない。無作法で、無防備なポーズを強いる、甘く柔らかいソフトクリームの元で、人は、普段自分を囲っている垣根に少し隙間を作り、それが対話のきっかけを生めるのではないか。
このソフトクリームのように、 人と人の間に介在し、対話を生み出すきっかけになりうるもの。 こういったものを対話工房では「対話ツール」としてイベントで活用している。その中でも一番原始的で、多くの人を引きつけるツール、それはたき火だ。うみやまさんぽでも、私たち参加者の中心にあったたき火。たき火をプロジェクトの中心に据えている「女川常夜灯」というイベントが、対話工房と地域住民の協力により、毎年8月お盆の時期に開催されている。広場に集まった参加者によって、小さなたき火がたくさん焚かれ、その火を囲んで語らう時間を共有するという企画。 女川常夜灯の夜は、女川内外から様々な世代の人々が火を囲み、今と未来が語られ、震災の経験と昔の女川の姿が、若い世代に口承される時間が流れている。
そしてさかのぼり、東日本大震災が起きた2011年3月11日の女川でも、たき火は人と人の中心にあった。女川町在住のおにいさんから、震災当日の話を聞く事ができた。その日、彼の腰から下の部分は津波によって濡れた。それを乾かし、暖めてくれたのはたき火だった。近寄ると熱くて、遠ざかると寒い。そのいい案配の距離を見計らうことで、その日が終わったという。闇と不安の中、火はどれだけ女川にいた人の支えになっただろうか。
火をおこす事は、物を作る行為とは違って、見えない自然の力を火という形に代えて、それを一時借りているという行為とも言える。火を扱うことを覚えた我々の祖先は、文明を飛躍的に発展させることに成功し、一方で制御できない火は、様々な命を奪うこともある。私たちの都合から言うこのような二面性は、大地、水、空という自然界の物質にも共通する。女川町は恵まれた水産資源によって発展し、津波により、たくさんの命、もの、つながりが失われた。その女川町で、たき火という小さな自然の化身を手がかりに、人と人の新しいつながりを生む活動は、これからも、女川の自然の恵みと共に生きて行こうとする、女川町の人々を励まし、優しくあたためている。
今も昔も変わらず、 たき火を囲むという事とは、私たちは、大きな自然のほんの小さな一部を借りて、在る、という命の本質を受け入れるための儀式なのだと、改めて感じた女川町での2日間であった。
《執筆者プロフィール》
大島 広子(おおしま ひろこ)
フリーランスの舞台空間および衣裳デザイナー。こども、中高生向け演劇ワークショップのファシリテーターとしても活動。ベルリンで参加した「公共性とはなにか?」という演劇ワークショップをきっかけに、アートプロジェクトに関心を持つようになる。
2014年
12月
28日
日
去る12月21日〜22日に女川ネイチャーガイド協会とのコラボ企画「うみやまさんぽ4冬至キャンプ」が行われました。
出島にある配石遺構は山と関係するカレンダーかもしれないという仮説を元に、女川町の最高峰である石投山(いしなげさん)の頂上で一夜を明かすというもので、昨年に引き続いて2年目の開催となりました。今年は月の新月と重なり、太陽と月の運行が同じ日に陽に転じる19年に一度のめでたい「朔旦冬至(さくたんとうじ)」という日でした。
当日は穏やかな晴天に恵まれ、町内外から集まった7名の参加者は清水地区山の神から登山を開始。協会理事の藤中さんをリーダーに2時間余りを掛けて石投山に登頂。昨年に比べて雪が無かったためか、思いのほかスムーズに登れました。
太陽が沈む前にティピー型テントを設営。みるみる気温は低下していきます。柴をあつめテントの中で焚き火を灯し始めた頃に日は暮れて、一年でもっとも長い夜の始まりです。普段の暮らしと違うゆっくりとした時間が流れます。この夜の気温は氷点下6度。明るさと暖かさを保つために炎を絶やさないよう枝を焼べ続けました。火が勢いを取り戻す度に囲む顔に思わず笑みがほころびます。
厳しい冷え込みに耐えて夜を明かし、今回も無事に出島の沖から昇る冬至の日の出を迎えることができました。女川沖のまっすぐな水平線から昇った太陽が、海や山や木々や街などあらゆるものを照らし始めました。太陽の恵が心身に沁みます。
出島遺跡を作った縄文の人々の真意は誰も確かめられませんか、人間側の活動を太陽の運行に合わせ、隣り合う人と火を囲み食を共にし、直に自然に向き合う時間は、太古から受け継いでいる力や感性を揺り起こすような体験でした。
今回が初トレッキングとなった参加者は「ひと回り生きることがたくましくなった」と語りました。
満天の星空が輝き、鹿の気配に満ちる森の深さ、太古と変わらずに巡る太陽や月が照らす海や山の風景はまるでタイムカプセル。
復興の槌音が響き、街の風景が刻々と変貌していく今、その普遍的な価値と魅力は増々浮かび上がっているかもしれません。
さて今回の対話工房の活動レポートが今年最後となります。
今年もたくさんの出会いと、多くの方々からご協力いただきました。誠にありがとうございます。
「一陽来復」
来年もどうか良い年をお迎えください。
2014年
12月
12日
金
「女川・出島にあるナゾの古代遺跡は縄文人のカレンダー
出島(いずしま)の名前の由来は日の出づる島とも。かつ
今年は冬至日と新月が重なる「朔旦冬至」(さくたんとう
[出発地] 女川町清水地区日蕨(エルファロ前集合)
[目的地] 石投山山頂 標高456.7m
[会費] 500 円
[日程]
12 月21 日
13:00 集合、登山開始
15:30 山頂到着、テント設営
16:00 夕食
※日没16:21
《山頂泊》
12 月22 日
6:43 日の出
7:30 テント撤収、朝食
8:00 別ルートで縦走、下山
10:00 出発地に到着、解散
[準備していただく装備]
リュックサック、冬用シェラフ、ヘッドランプ、2 食分の食料、食器、飲み物+2 リットルの水、靴(登山靴または防寒長靴)、防寒着、テ
ト(基本的には個人装備ですが、無い方はご相談を)※な
※最低限のランタン、お湯を湧かせる程度の装備、ティピ
※暴風雨など荒天が予想される場合は中止します。
※山歩きルートにはトイレ・水場がありません。麓の森林
お申込みとお問い合わせ (電話090-1937-34
主催/女川ネイチャーガイド協会
共催/一般社団法人対話工房
協賛/サイレントアクア実行委員会、公益財団法人福武財